Project 02
クレバリーホーム
「命を守った家」を提供する。
それが、私たちの使命です。
菊間 文弥
株式会社クレバリーホーム 取締役 運営開発部長。クレバリーホームを統括。1989年新卒入社。
對馬 卓也
株式会社クレバリーホーム FC運営開発部 運営開発2課長。スーパーバイザーとして加盟店をサポート。2000年新卒入社。
中島 早紀
株式会社クレバリーホーム 運営開発部 Web推進課。SNSやWebサイトの管理運営を担当。2018年中途入社。
「新昭和の家を、
うちでも建てさせてほしい」
千葉県No.1の2×4住宅の会社として、住宅業界で注目を集めつつあった1990年代後半。全国の工務店が視察に訪れ、「新昭和の家をうちでも建てたい」という要望が舞い込むようになっていた。そうしたありがたい声に応えていきたいという想いから、新昭和の家づくりを全国展開していく構想が動き出した。
ただ、直営ではあまりにも時間がかかる。早期に実現するには、フランチャイズ(FC)展開するのが合理的。同時に、歴史がまだ浅い2×4工法ではなく、工務店に馴染みのある在来工法を採用することに決めた。スタート時は、加盟店における扱いやすさ、わかりやすさを追求したと、現運営開発部長の菊間は振り返る。
「FC展開を念頭に、まずは自分たちで直営店を運営することから始めました。知識や経験がなくても施工・販売ができるのか? そこを確認するため、あえて入社2~3年目の若手を抜擢しました」
並行してFC本部では、魅力的な商品の開発や販売・施工の仕組みづくりに奔走。新昭和が培ってきた高品質な家づくりのノウハウを在来工法に落とし込み、適正かつシンプルな価格体系を構築していった。こうした取り組みの結果、どの直営店も目標以上の実績を上げることに成功。1号店の立ち上げからちょうど1年後の1998年4月、クレバリーホームのFC展開がスタートした。
タイル外壁の家を、
もっとお求めやすく。
クレバリーホームというブランド名には、賢く(=クレバーに)家を建てましょうというメッセージが込められている。高品質で低価格という、独自のポジショニングに根ざしたネーミングだ。いわゆる「ローコスト住宅」との差別化も強く意識されている。耐震性、断熱性、耐久性、もちろんデザインにおいても、高級住宅と遜色ないクオリティを目指した。この商品戦略において大きな役割を果たしたのが、2000年に投入されたVシリーズだと菊間は言う。既存商品にはなかった外壁タイル仕様が、このとき初めて標準化されたのだ。
「大手ハウスメーカーと肩を並べられる商品でした。高級路線のため爆発的に売れたわけではありませんが、ブランディングの効果は大きかった。新聞広告とも相まって知名度が上がり、加盟店がぐんと増えましたから」
クレバリーホーム躍進の原動力となった2つ目の商品は、2002年発売のCXシリーズである。タイル外壁のコストダウンを実現するため、海外からの材料調達やタイルメーカーとの共同開発、施工方法の簡素化などを行った。FC本部で加盟店サポートを担当していた對馬が、興奮気味に語る。
「本当に衝撃でした。ついに、お客様の望まれているものが登場したんですから。Vシリーズのような最高クラスの家をおすすめしても、最後は値段がネックになる。そんなお客様には、どこかで折り合いをつけていただくしかなかった。それが、ほぼ同等レベルの家をうんと低価格で提供できるようになったんです。商品発表会が開催されたその日に確信しました。これはヒットするぞと。とんでもない商品を開発したなと」
VシリーズとCXシリーズという、現在もつづく看板商品を得たことで、クレバリーホームは大きな競争力を持つようになった。加盟店は順調に増えていき、全国47都道府県への進出に向けて大きく前進した。
命を守った。この家は、
間違っていなかった。
住宅の価値とは何か? 我々は何のために働いているのか? そんな根底の部分について深く考えさせられる転機は突然やってきた。2011年3月11日の東日本大震災である。その日たまたま出張で仙台を訪れていた菊間にとっては、人生観が変わるような出来事だったという。
「沿岸部の津波被害は、本当に凄まじかった。家という家が津波に流され、瓦礫と化していました。私自身は無事でしたが、気になるのは当然、クレバリーホームに住むお客様です。すぐに本部と連絡を取り合い、安否確認に向けて動き出しました」
名簿を見ながら避難先を回っていく中、あるお客様を探し当てたという。「家を見てきましたけど、流されていませんでしたね」菊間が道中で見てきた光景について話すと、そのお客様はこう答えてくれたという。
「そうなんです。びっくりしました。津波が引いてしばらくしてから様子を見に行ったら、我が家だけ残っていて。周りの家は全部流されているのにですよ。中に入ると、ひどいことに金目のものは全部盗まれていました。でもね、本当に大切なものは残っていたんです。家族の写真、子どものへその緒、思い出の洋服。それがとにかく嬉しかった。クレバリーホームが守ってくれたんです」
家づくりとは何か。その答えが凝縮された言葉だった。菊間はつくづく思ったという。
「家というものは、雨風をしのぐだけの単なる箱ではない。そこに住まう家族を守る、思い出を守るという大切な役割を担っていたんです。クレバリーホームは地震に強い家をつくり、全国展開を推進してきました。その家が結果として、津波という想定外の脅威から住まう人の命を守ったわけです。私たちのやってきたことは間違っていなかったんだと確信しました」
宮城県内にクレバリーホームの家は約500軒あったが、津波を受けた家も含めて、倒壊した家は0軒だった。地震発生から2週間後に現地入りし、被害状況の確認にあたった對馬は言う。
「車窓から見る景色は壊滅的でした。一体どんな顔をしてお客様に声をかけたらいいんだろうと、途方に暮れました。そしたら奇跡的に、一軒だけ倒壊を免れた家がポツンと残っている。と思ったら、探していたクレバリーホームの家だったんです。その瞬間、鳥肌が立ちました。本当に耐えてくれたんだなと。もともと耐震実験を通じて、クレバリーホームの強さは技術的に立証されていました。でも正直、実感が伴わなかった。多くの社員や加盟店の方もそうだったと思います。でも、実際に倒壊しなかったという事実を知ったときに、はっきりと実感することができたんです。私たちがつくっているのは、命を守る家なんだと」
全国47都道府県を達成。
でも、まだまだ足りない。
クレバリーホームが全国47都道府県への拠点展開を達成したのは2016年。ひとつの節目となったのは確かだが、まだまだ足りないと菊間は言う。
「温暖化や異常気象による災害リスクが、年々高まっています。今後ますます、安心して暮らせる家が重要になっていくでしょう。クレバリーホームは累計3万8千棟以上を建ててきましたが、それじゃ足りないんです。もっともっと日本中へ、世界中へ広げていきたい。もちろん、国によって建築規制のあり方は異なるので、ハードルが高いことは承知しています。ただ、命を守るのに、国内か海外かは関係ありません。優れた家を輸出していくことも、私たちの使命だと思っています」
さらなる発展のためには、若いミレニアル世代やZ世代へのアプローチが重要となる。そう話すのは、WEB推進課の中島だ。
「認知を高め、ファンを増やすうえで、SNSマーケティングはとても重要です。特に若い世代は、対面よりオンラインでのコミュニケーションが得意なので。すでにこの業界でも、かなり浸透しつつあります。YouTubeやInstagramなどのSNSと住宅との相性は抜群です。難しい話をやわらかく、やさしく伝えられますし、家の魅力を直感的に訴求することもできます。本部だけでなく加盟店も巻き込み、オンラインでのコミュニケーション活動を推進していきたいですね」